既存の宗教建築
最近の日本は,宗教心がなくなったと嘆く宗教人が多い。しかし私はそうは思わない。むしろストレスの社会で ますます宗教に頼りたくなっている人は多いような気がする。かつてオーム事件があったとき,その信者の中に高学歴の者が多いのに目を見張ったのは,私だけではないであろう。しかし鎌倉時代以降の宗教は,今 積極的に手を差し伸べようとしている宗派は少ないのではないかと思う。私自身,浄土真宗で,先祖の月命日にはお寺に来ていただいて読経してもらっている。しかし,読経もそこそこに次の檀家へ向かおうとする姿を見るにつけ,悲しくなる。でも,何か苦しいときには般若心経を口にすることもある。
ある外国人と寺町を歩いたときに,日本のお寺は なぜ 頑丈な塀に囲まれているのかと問われたことがある。キリスト教は少なくとも 常に手を差し伸べているのだと言う。レ・ミゼラブルのジャン・バル・ジャンもそうした環境で生まれた文学なのだ。
確かに今の日本は「国民総拝金主義」に成り下がった感がある。宗教人といえども食べないわけには行かないし,それなりに家族も養わなければならない。だからある意味で仕方の無いことかもしれない。
しかし,日常においてもう少し,社会に門戸を開いてほしい気がする。特に大震災などが興ったときにこそ,宗教建築は倒れず威風堂々と残り,ボランティアも大いに受け入れ,被災者に施しを与えてほしいと思っている。だからこそ 私は 宗教建築の耐震化を押し進めて行きたいのである。
若い人たちが 占いなどのマヤカシや,新興宗教に頼ろうとする姿を見るにつけ,宗教心は決して廃れていないと思う。むしろ 宗教人の一般へのアプローチこそ必要なことなのだ。頑張れ,既存宗教の関係者たち!