メイン | オートリスプ・オートキャド »

2008年07月08日

大正区

大阪・医療・診療所・新築

2008年07月03日

建築相談

先日の建築相談の顛末

2008年06月21日

通勤路の片隅に咲くバラ

医師会館・建築士・新築・住宅


通勤のとき,見かけるバラが美しく咲いている。
余り手入れをしていないが,それでも 花は気高く咲いている

2008年04月04日

動く広告塔

診療所・建築士・保育園・新築

2週間ほど前,大阪 日本橋 付近を車で走っていたら,こんな車が前につきました。
まさに動く広告塔です。

なかなかいい条件じゃないでしょうか?

2008年03月19日

友 遠方より来る

昨日は本当に忙しい一日でした。

朝から名古屋、しかもJRでなく何となく近鉄で行きたくなった。
大阪から東海道でなく伊勢街道を走る近鉄の雰囲気、柘植、伊賀といった山中を走り、時々見える田園風景の素朴な感じがすきなのです。ところが、名古屋での打ち合わせは10時からになってしまいました。と言うことは、大阪・難波発の近鉄・アーバンライナーは、最低でも7時発、ゆとりを持って6:30発のを乗らなければなりません。仕方ないので6:30発で行きました。工程は2時間半なので社内ではゆっくりできたのですが、大変眠くてしかたない。
で、名古屋での用事は2時半に終了。その後再び近鉄で難波へ、到着は5時前。次は。江坂での会議。これは6:30より。時間調整と ちょっと一息入れるために、難波ステーションの英国屋でコーヒーを飲んでいると、携帯が鳴り、出てみると なんと福井県鯖江市の伊藤さんからの電話。「明日のいとこの結婚式のためKKR大阪にきているとのこと」久しぶりで懐かしく、この後の会議が9時ごろ終わることを告げ、そのあとで連絡しますと、一旦 携帯を切りました。
そして江坂での会議。これはNPO法人 日本住宅管理協会の理事会。その席上、理事長から「鹿児島県の深野木さんって知り合い?」とこれまた懐かしい名前が出てきた。理事長が「地球の会」で鹿児島に行った時に出会ったとのこと。福井県鯖江市の伊藤氏も鹿児島県の深野木氏も日本建築士会連合会青年委員会でのお付き合い、特に伊藤氏は17年前に大阪士会で企画したフランス旅行に同行した経緯があり、そして10年程前の連合会福井大会でもお目にかかって それ以来 の本当に久しぶりの連絡でした。
JHMでの会議を9時くらいに終了し、急いでKKR大阪に急行しましたが、今日はどうしても自動車で帰宅しなければならなかったのでホテルのロビーで1時間ほど懇談して、次回お目にかかることを約束して別れました。
でもまあ、意外なところで意外な人から鹿児島の深野木氏の名が出たり、珍しいことは続くものだと感心した一日でした。
またまた奇遇なことに、近鉄車内で読む文庫本を名古屋で購入したのですが、「宮部みゆき」の「火車」 これは殺人を犯して人の経歴を乗っ取ると言うストーリーだけれど、こんなにいろんな人の絡みのある私の場合は 乗っ取られることも無いのかなあと仕様も無いところで感心しきりです。
 

2008年03月13日

弥生 (三月)


  三月は弥生。一月は往く,二月は逃げる,というように,瞬く間に三月に入ったが,三月は去るというふうに,うかうかしていると 何もできずに通り過ぎてしまうかもしれない。

  先月の新聞記事に「自転車の三人乗りの規制強化」の記事が載っていた。若いお母さんが,前後の補助いすを使って三人で乗っている風景は,既におなじみの風景である。確かに手軽で便利だが,三人分の体重によって自転車のバランスが崩れやすく危険である。お母さんいわく 「小さい子供は歩いていても 急に走り出したり,勝手に遊んだりして むしろ危ない,また,どこかに行くときも家で留守番させているのも危険だ」という。

  実は 私のところもその事故を経験したことがある。家内が末っ子をおんぶして,前後に子供を乗せて4人乗りをしていた。長男が幼稚園の頃だから もう 19年も前のことである。後ろの補助いすに乗った長男が,うとうとしてしまって,急なカーブで落ちてしまい,その弾みで,石に頭を撃ってしまった。頭を撃ったことから,救急車を呼んだが,外傷が見当たらなかったので 様子を見ることになり,そのまま幼稚園に行った。幼稚園は,大阪にある阿倍野幼稚園である。

 園長先生にその旨を話し,子供を見てもらった。この園長先生の判断がすばらしい。園長先生は「何か様子がおかしい,いつもと違う。病院に行ったほうがいい」と園の車を出してくれて,そのまま救急病院に運び,レントゲンをとったところ 脳内に血腫が見られた。硬膜外出血だという。即 緊急手術となった。連絡を受けて私が出向いた頃には,手術室に運ばれるところであった。長男は いつも ぼーっとしがちであったが,いつものぼーっとは違っている様子。そして3時間ぐらいだろうか,無事手術も終了し,一週間には,退院した。その後も,頭が痛いというたびに過剰な心配をしたが,取敢えず順調に成長してくれた。結果的には東京大学に入学し修士課程をおえて,この春に就職することになっている。

  今では「怪我の功名」と冗談を言えるほどになったが,当時の園長先生には今でも感謝している。最近,保育園・幼稚園の先生に対する父兄からの批判を耳にすることもあるが,経験に基づく直感は,机上の千論以上の価値があると つくづく思う。

2008年03月06日

デトックス

デトックスと言う言葉を 今日 はじめて聞きました。デトックスとは積極的に心身の機能を高め、体にたまった不要なものを出し、体をクレンジングしてきれいにすることらしい。
人間本来の「体には不要なものを排泄する機能が備わっており、環境・身体・精神面においてストレスの多い現代社会では、体が対応しきれなく、体内に滞りがちになっていると言うのです。

そのひとつの方法が、パルソルト
岩塩にアロマテラピーに使われる精油を5滴落とし、よく浸透させた岩塩をお風呂などに入れてゆっくり入ると言う感じです。

リラックス用
岩塩12.5g ホーリーフ 2滴 オレンジ 3滴

むくみ用
岩塩12.5g ジュニパー 3滴  グレープフルーツ 2滴

冷え・疲れ用
岩塩12.5g ジンジャー 1滴  オレンジ 3滴  ゼラニウム 1滴

その他 杏仁パウダー、さくらの塩漬け など好みで入れると言う。

一度お試しあれ。

2008年02月26日

コールドケースによる三浦和義の逮捕

以前、ロス疑惑問題の三浦和義 よく覚えている。
見るからに胡散臭そうなしゃべり方をする奴だと思っていた。
でも なぜ 今なのか?

WOWOWのコールドケース的に言うと、多分 新しい証言が起こったのだと思う。
つまり、FBIの手中にある別の実行犯が、司法取引によって全面的に自白したのだろう。
その際、テープレコーダーなどの証拠もいっしょに出しているのかもしれない。

以下 IZA より
ロス疑惑事件で、日本の在サイパン出張駐在官事務所の係官が26日、殺人容疑などで逮捕された会社役員、三浦和義容疑者(60)と面会。三浦容疑者は係官に対し、「サイパンは米国本土ではないからそういうこと(逮捕など)はないと思った」と、逮捕が予想外だったことを明らかにした。また、焦点となっている米本土への移送に同意するかについては「結論は出ていない」と述べた。

コールドケース

WOWOWで、放映中のコールドケース

私の好きな番組の一つである。

でも なぜ こんなに古い事件で逮捕されるのか わからなかった。

コールドケースの例

1973年10月5日。女子テニス界の第一人者であるキングが男子選手リッグスを破ってから2週間後。ペンシルヴェニア大のコートでも、1人の女子選手が快挙を成し遂げる。新入生のアンディが、男子一テニスが上手い先輩、フリッツを破ったのだ。だが翌日、アンディは学生寮の自室で絞殺死体となって発見され、事件は迷宮入りする……。


 そして現在--。アンディの妹エミリーがフィラデルフィア市警へ。アンディのコーチでもあった父親ビルの引っ越しの荷造り中、事件当夜にアンディが使っていたタオルが見つかり、それを触っているうちに気分が悪くなったという。検査の結果、タオルには人体に有害な薬品が付着していたと判明。リリーたちはコールドケースの扉を開く。

 アンディとフリッツの試合は、コーチのスーザンが女子部の資金集めのために企画。まずビルの証言から、試合そのものを嫌がり、練習中からすでに荒れ、試合に負けた結果プロ入りを断念したフリッツに聞き込みが行われる。現在はテニスクラブでコーチをしているフリッツだが、アンディは自分より他の女子選手との確執のほうが大きかったと証言。しかも、女子部ナンバーワンの座をアンディに奪われたフリッツの元恋人、グレイスは化学を専攻しており、薬品を入手することができた。だが現在のグレイスは、事件当夜のアリバイを主張し、世間一般の男女格差に政治的に反対していたコーチ、スーザンがビルと対立していた事実を明かす。
 現在のスーザンは体育部長に出世。彼女はビルとの対立は認めたが、当時の体育部長ブラウンを共通の敵とする味方同士だったという。女性を差別するブラウンはアンディに、わざと負けろと指示していた。だがブラウンは既に他界しており、リリーたちは当時大学新聞の記者だったエリックを訪ね、彼はブラウンのアリバイを証明。そして試合前夜のパーティでフリッツがアンディに接近し、グレイスが嫉妬していたこと、アンディにいたずら電話がかかっていたことを明かす。
 グレイスは、タオルが自分のしわざだったことを認めるが、実は狙った相手はフリッツで、アンディが取り違えたという。そしてビルがアンディの寮に来ていたという。ビルはテニス以外の生活を楽しみたいというアンディに口論になっていた。

 アンディを殺したのは一体誰なのか。そして、その理由とは……!?

2008年02月23日

勝鬨橋・東京・隅田川

<strong>勝鬨橋</strong>

RIMG0382.JPG

隅田川


東京の勝鬨橋
もう20年ぶりかなあ。ライトアップされていた。
20年程前、1ヶ月ほど住んでいたが、本当に下町のいい雰囲気だったが、このあたりすっかり変わって都会化してしまっている。いいことか、悪いことかわからない。

しかし そのような思惑とは関係なく、勝鬨橋はしっかり建っていた。

2008年02月22日

茶道・薯蕷饅頭、福寿堂

薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)

お茶を習い始めたら切り離せないのが、お菓子である。
お干菓子と主菓子があるが、お濃茶などの正式なお茶には、主菓子が必要なのだ。(笑)
話はぜんぜん違うが、これまでお祝いなどに出ていた「じょうようまんじゅう」は常用饅頭だと思っていた。先日、帝塚山福寿堂にいったとき「薯蕷饅頭」と書いてあった。福寿堂の人に聞くと、饅頭の皮のつなぎに「薯蕷」つまり、山芋を使うことから 薯蕷饅頭 というのだそうだ。知らないことが多いねえ。
しかし、シンプルな饅頭の割に 結構 高い金額であるが、福寿堂の人に言わせると「薯蕷饅頭は、以外に 手間もかかるし、お祝い物だから、ご祝儀相場の傾向がある」とのこと、なるほどねえ。

2008年02月01日

如月 (二月) 

  二月に入り節分も過ぎた。節分は太陰暦での年の節目である。年を重ねるにつけて,この節分の節目のほうが,自然の流れと人間の生理と観点から 本当の節目のような気がしてならない。今年の寒さも,この節分を境にして厳しくなってきたような気がする。

 寒い寒いといいつつ, 私はこの冬の寒さが好きである。特に,深夜の凛とした冷たい風に ほほをさらしながら歩く御堂筋の景観は本当に美しいものだと感じる。無論 裸の銀杏並木をライトアップしている効果もあるが,寒風によって世の中のほこりなどを すべて拭い去ってくれているような感じがするのだ。

  とは言え,実は先週 体調不良で 三日間 寝たきり状態であったのだ。身体の節々の痛みなど風邪の症状であるが,ウイルス性のものではなさそうである。熱は無いが,ともかく 身体が冷えて仕方なかった。そして,異常なガス発生の期間が半日,その後 ひどい下痢症状が一日。苦しいながらも,以前にも経験したことがあったような気がし,その記憶を紐解きながら(ああ,やはり記録はだいじだなあと反省)とにかく衣服で身体を温め, 三日目の後半から,ようやく回復の兆しがあり 5日目には ほぼ 完治したようである。今日は7日目だが,全く問題ない。
  今回は医者には行かず,市販の薬と安静でなおしたが,医者に行けば,「風邪」もしくは「インフルエンザ」ということで,点滴,投薬ということになっていたと思うが,治癒の速さは同じだったと思う。
  私のクライアントであり 個人的に尊敬をしている医師は,点滴を信頼していない。点滴するくらいならポカリスウェットを経口で摂取するほうが,人間の自然治癒力という点で効果があるという。

  最近,医療費,地域医療施設の医師不足などマスコミを賑わしている。今の世の中の社会保障システムは ありがたいことに ある程度 充足しているような気がする。人間の身体も自然の一部であるので,自然を信じ,自分の身体を信じることで,雑多な手間を医師から開放すれば,高度な医療技術を必要とする患者に精力的に集中することができるのではないであろうか。
  
 ・・・・てなことをぼんやりと考えながら,ひたすら 惰眠をむさぼっていた。

2008年01月01日

正月

いよいよ平成20年が始まった。

  今年は平成も20年代最初の年,干支も子年で,新年の新しい雰囲気に満ち溢れているように感じる。昨年来からのサブプライム・ローン問題や実質景気の後退など あまり良いニュースは見られないが,何となく新しい時代の幕開けを直感し,新年にふさわしい清清しい気分で,三が日を過ごすことができた。

  とは言え,建築を取り巻く環境は厳しいものがあるのも事実である。ここは一つ 気を引き締めて さらに 前向きに進むことだと考えている。

 関係各位には 本年も ご指導ご鞭撻のほどを 宜しく お願いします。

2007年12月01日

師走

 いよいよ12月。
 今年はイノシシの年にふさわしく,様々な局面で変化が見られた。建築関連では6月22日の確認申請システムの変更によって いわゆる「官製不況」といわれるように建設業界全般での低迷が見られ,まだまだこの状況が続くと考えられる。
  簡単にいうと確認申請の日数が これまで約3週間で終了していたものが,6月22日以降の受付の確認申請が4ヶ月程度必要になったのである。その対象となるのは,ほとんどの建築物であるから,なおさら事態は深刻なのだ。

  日数が掛かるということは手間が掛かるということで,すなわちクライアントへの設計料がアップするということなのだ。今はまだ ユーザーへの影響は さほど 見られないために社会問題化していないが,建設がストップすることは設計事務所・施工会社のみならずその下請企業やそれに所属する職人さん,及びその家族までが影響を受ける。それだけでなく,これまで新築を機に購入されていた家具や電化製品などの購入意欲までが損なわれ,社会全体に影響を与えるであろう。こういった影響はジワジワとボディーブローのように聞いてくるのではないかと思う。

  酒酔い運転は悪いことだ。運転する前に警察に行って飲酒をしていないことを証明するシステムとなればどうであろう。タクシーの場合,客が変わる度に証明しなければならない。警察には長蛇の列ができ,一時間待ちの末,調査に3時間で合計4時間かかる。だれが車に乗るであろうか。これでも法を犯す不届き者は 必ずや 出るであろう。

  問題は悪意を持って社会に害悪を撒き散らす者なのだ。建築士として自覚し,誇りを持って責任を全うしようと者までもが,姉葉建築士などと同様に見られることが悔しくて仕方ない。しかし,最近ですらも ㈱松田平田設計[下請㈱構造計画研究所{孫請 (有)藤建事務所}]の構造計算偽造が発覚し,情けなくて言葉を失う。

 しかし,今施行されている確認は大いに問題がある。合理的なのは,竣工物件を確認物件の20%程度 無作為に抽出し,構造の再検討を加えて偽造などおこなっている関係者のブラックリストを公開するといったやり方でそのほうがより効果的なのではないだろうか。

2007年10月13日

神無月

 国会も落着きを取り戻そうとしているが, 泰山鳴動してネズミ一匹の感がある。
それはともかく,庶民の生活とはあまり関わりを感じられないところが,なんとかなく考えさせられる。

  さて,今回 ある家の調査を頼まれた。その家には夏に訪問業者がきて,「設備配管の無料調査」と称して床下に潜り込み,床下工事の設備取替え,羽あり駆除の工事を熱心に勧められたという。

 建築の悪徳訪問業者のトラブルはマスコミにも取り上げられ,全国的にも社会問題となった。その法的根拠は「詐欺商法」であることだ。建築工事価格の算定が難しいことも原因の一つであるが,「専門家です」「うちの会社は徹底的にやります」と居丈高に迫られ,「このままだと家が潰れますよ」と言われたら,普通の人は慌ててしまう。

  今回の業者は,実際に潜った床下のトラブルを写真で提示し,メモ書き程度の見積書をその場で作成して,工事契約を迫ったという。「おかしい」と感じた住民が自分で潜ってみても,指摘されたような形跡は見当たらない。ただ,「専門家」に言われたことを「素人である」自分の目で見ても正しいかどうか判りかねる,それゆえ再度専門家の目で見てほしいとのこと。ヒアリングの範囲では,問題は無さそうだし,メモ書きとはいえ見積も高めであるがむちゃくちゃ高いというわけでもなく,取り敢えず,来月に 一度 床下に潜りにいこうと思う。

  今回の例で問題なのは,詐欺商法か否かという点と,最初に訪れたときに「訪問販売である」旨を伝えていない点である。後者の場合は,「特定商取引法」に抵触するようである。最近はクーリングオフ制度も知られつつあるが,悪徳な訪問販売の場合 そのクーリングオフの除外条件を巧みに使って逃れようとするので,日頃から ご注意願いたい。

2007年09月01日

長月

 私は小泉首相の時から首相官邸のメルマガを購読している。
 
  9月13日午前7時発の安部内閣メルマガの一節から------

 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この 政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、 活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。
  テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりにつ いても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべき と考えてまいりました。
  そのために、私は何をすべきか。 局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考え ました。 ・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
  無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさん のためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。

 この度の首相辞任はよくわからないところが多いが,安部さんのやりたかったことのひとつが外交問題であり,もうひとつは憲法改正論議であったという点で,両者を実現できないと見切って,せめて外交問題ひとつでも残したい一心での辞任劇だったのであろう。見切る動機としては,外からも内からも支持を得られないどころか,足を引っ張ることばかりで 厭世的な刹那心がはたらいたことは推察できる。
  しかし,首相就任とはまさにその覚悟を決めることであろう。だが,実態は それ以上のしんどい状況であったのかもしれない。
  与党自民党の有力代議士が個々に自己主張をし,その長を貶めるようなことばかりしているのであれば,小泉首相のような強力・独善内閣以外にまとめることはできないであろう。今 自民党が求めているのは皮肉なことに「自民党の小沢」ではないだろうか。

 今回の辞任劇 及び,そのプロセスは 世にある組織の運営という点で非常に参考になる。普段はバラバラであっても危急の事態の際には,組織の各構成要因が小事を切り捨て大事に立ち向かえる体制を作れない組織は 滅びるのだろう。

2007年08月02日

葉月

 葉月とは陰暦の 8月で,新暦では9月から10月上旬のことである。「葉月」は落葉が始まるから葉月と言う説と稲の穂が張るので「稲張り月」から葉月,さらに北から雁が飛来する初めての月で初月から葉月と言う説があるらしい。 
  いずれにしても,夏の光を浴びて黄緑の若葉がしっかりと緑色になり,秋の結実の準備をしている時期という点で太陽暦でも葉月と言う名はふさわしいと思う。

 八月には広島・長崎の原爆記念日,お盆,終戦の日など 日本人として過去を振り返るべき日が多い。国内に原爆を投下された日を記念日と呼ぶには 多少 ためらいがある。特に 8 月 9 日は長崎の原爆投下の日であるが,同時にソ連が日ソ不可侵条約を破って侵攻してきた日でもある。つまり,戦場でないところに無差別爆撃をかけられたり,国際法上の約束事を反故にされたり 当時の二大国家が 国際的なルールを破ったことによって,被害を受けた当事者となった日であることを記憶に残しておくべきであると言う点で記念日であるのだ。しかし,これが悪かというと,現在のところ 勝者の大義が優先されているのである。

“ヒト” は原始時代の体力のみで生き延びる時代から 相互交流で補い合って生きる時代へと移行してきた。そのため ルールを身に纏い,“ヒト間 ” の交流をスムースになるよう制御してきた。しかしながら, “法や慣習,道徳” といった規範が 絶対的で無いことはこれらの歴史が物語る。ハンチントンの文明の衝突にあるように 慣習・道徳が民族・宗教によって異なるために これらが衝突を防ぐ事はできない。また,“法” にしても勝者の都合が罷り通るきらいがある故に,絶対的とは言いがたい。もっとも,"法 " 自身,不完全な人間が作るものだから,絶対的な規範でありえないのだけれど・・・。それ故,不完全な複数の規範の集合体をその時々のバランスで作り変えて時代に応じた規範を作っていくしかないのであろう。

 八月上旬 夏の盛りの昼間は 大阪ではクマゼミが鳴き,夕方にはアブラゼミが鳴く。お盆を過ぎると ツクツクボウシが鳴き始め,気付けば木立から秋の風が吹いているのを感じ出す。小学生の頃はツクツクボウシの鳴き声で,夏休みの終焉を感じ 子供なりの哀愁を感じたものである。
 私にとって八月は感情的に目まぐるしい月でもあるのだ。

2007年07月01日

七夕

七夕

 皐月も去り,水無月は行き,瞬く間に七夕に入ってしまった。その時々は 懸命に生きているつもりであるにも関わらず,振り返れば これといって取り立てて自慢できる事も無し。人は哀しいね・・・という拓郎の心境になる。とは言いながらも,立ち止まるわけにも行かず,歩き続けなければならない。
  最近読んだ本で気になるのが,町田祥弘著作の 「内部統制の知識」という本である。簡単に言うと,これまでの企業は,会社法などの社外の法にのっとって仕事をしていけば,何を行ってもお咎めがない時代であったものが,世の複雑化に伴って,それだけではなく,企業のコンプライアンス(社内倫理)を確立して,その概念に従って企業運営をしなければ,運営責任を問われるといった内容のものである。  これは,アメリカのエンロン事件に 端を発して,資本主義社会の根本を見つめなおす体制が,アメリカでは既に出来上がり,しかも日本においても 徐々に 法体系がそのように整備されたことを指しているのである。
  最近のホリエモンや不二家,ミートホープなどは,多分 この法体系を実行に移しつつある事への警鐘なのではないかと感じる。しかも重要なのは,アメリカでは,大手企業のみならず,中小企業までもその対象になってしまった経緯があることから,日本でも 多分 そのような指導がなされるのではないだろうか。
 
  時代は確かに代わりつつあると ことあるごとに実感する。本当にバブル絶頂の時に誰かが言っていた「55年体制からの脱皮」が現実のものとして動き出している。

  多分,新しい時代は 今後 5年くらいかかって確立されるのであろうが,大変な時代になったと消極的に思うのか,新たな時代の幕開けだと積極的に考えるのか,分かれるところであるが,私自身は 明治維新を策謀した坂本竜馬のように生きたいと思う。

2007年06月01日

ギンヤンマ爽やかな水無月

  さて あいも変わらず更新が遅れてしまっている。皐月を書いていたらいつのまにか水無月も終わらんとし,七夕になろうとしている。この季節は鳥や昆虫などの生物が活発に活動する。たぶん人間も同様に無意識に活性化されているのだろう。7月にはいるとお祭りが多いのはそのせいかもしれない。有り余ったエネルギーを祭りで発散する,そういったメカニズムがいつのまにか習慣となり,祭りという形であらわれているのかもしれない。
  大阪の祭りは北の天神祭りに始まり,南の住吉神社の祭りに終わるといわれている。私は住吉神社の近くに住んでいたので,小さいころは唯一緑豊かな住吉神社や住吉公園を夕暮れ遅くまで走り回っていた。主に神社の境内でセミ採りをしたり,池でトンボ釣りをするのである。
当時は まだ 大阪市内にもギンヤンマが飛んできていた。夕暮れ ブリカンといって,1mほどの糸のついた輪ゴムに小さな釘を折り曲げて取り付け,飛んできたギンヤンマの鼻先に飛ばすと,蚊と間違えてヤンマがくらいつく。そして糸が絡まって落ちてくるのである。夕方にはどこからとも無く子供達が50人くらいあつまってきていた。ギンヤンマも羽が茶色を帯びたメスが上等なのだ。当時図鑑で調べてもギンヤンマの羽は透明だが,日に焼けるのか 茶色に変色するようである。翌朝,そのメスを糸でつないで池に飛んでくるオスのギンヤンマの前でとばすとオスが引っ付いてくる。それをつかまえるのだ。それをトンボ釣りとよんでいた。 私の大学は全国から集まってきていたのでこのトンボ釣りの話をしたら誰も知らない所か小さいときから助平だったと笑われたのにはちょっと驚いた。大阪の他の地域の友人も知らなかった。大阪市住吉だけの一部地域の遊びかと思っていたら,なんと 加賀千代女も俳句で詠っている。
http://www.c-able.ne.jp/~miwako/essay_miwa12.html
千代女は元禄時代の俳人だからその頃は少なくとも金沢では行われていたのであろう。
  その後 私の虫取りは我が子が生まれるまで封印されることになるのだが,残念なことにその頃にはギンヤンマの姿は市内では見られなくなった。それどころか なんと あんなにむちゃくちゃいた「糸トンボ」すらも住吉神社の池では見られなくなってしまった

2007年05月13日

新緑の皐月


 ついこの前まで2月にかからんとして節分の話を書いていたが,気がつくと最早5月になってしまっている。
  この間,別に遊んでいたわけでもないが,HPの更新は滞ったままであった。自分のPCを開くと,この画面が映し出されるし,数名の友人には冷やかされたが,どうしようも時間が取れなかった。
  さて,この2ヵ月半の間に様々なことがあった。仕事の上では比較的規模の大きい住宅の計画・実施設計,メディカル関係の計画 1件,老人福祉関係の計画 2件が進行中である。また,昨年末に実施設計を済ませた特養,保育所の工事監理も進行形である。さらに一年かかりの診療所改修工事が残すところ1ヶ月となっている。診療所改修は,これまでのデザインとまったく違ったものとなっている。今日 外装工事が始まり,休みにも関わらず現場に見に行った。少し訂正を指示し明日から本格的に始まる。内装もがらりと雰囲気がかわり,患者さんの驚く顔が楽しみである。建築事務所の醍醐味である。
  この忙しさからある新人の起用を試みた。1月中旬から試用期間で使い,4月から正社員。少しの期待感はあったが,残念ながら期待は外れた。
 学生時代に「デザイン」という言葉に踊らされてか実施設計をする力がない。しかも雑務はともかく本来の建築実務を習得しようとする心構えが見えない。力がないから仕事が頼めない。仕事がないから先輩諸兄を尻目にさっさと帰りたがる。試用期間中は居ても邪魔だから黙っていたが,正社員になるとそうもいかない。で,苦言を奏すると20日で辞意を表明,敢えて引き止めることなく辞めてもらった。実は,昨日そんな彼から「事務所に復帰したい」旨のメールが届くが2時間後,「間違いである」との訂正メールが届く。  最初のメールは「恥を承知で言わせていただきます」が,その書き出しである。お願いすべきなのに喧嘩口上で始めてどうするんだと言いたい。しかも 宛名も発信者名も記載なし,全く失礼な話だ。彼が辞めて残されたのは 中途半端にほっておかれた使えないCADデータだけである。 中途半端な気持ちで技術職として就職されると迷惑だ。確かに忙しさにかまけて素人から実務者への助走をじっくり手伝ってやれなかったのも事実であるし,無論,彼にも言い分はあるだろう。しかし建築設計という委託業務の場合,クライアントのワンサイド評価で言い訳がきかないことを建築を志す人は理解しなければならないと思う。

2007年01月14日

震災

松の内は元旦から15日までであるが,最近はなんだかすごく慌しくて正月気分にひたるなんてことはほとんど感じられない。特に10日もすぎれば11年前の阪神大震災の日が思い起こされて心が痛む思いである。11年前のあの日,加古川市の設計入札が行われる予定日であったが,震災により1週間ずらされて行われた。入札のためにその市役所を訪れるのであるが,当時は大阪港回りで明石まで行き,半日かけて加古川市に着いた。幸い委託されることになったが,その後も半日かけて加古川市に通うことになった。通常は1時間少しでいけるところが,往復だけで一日がかりであったのを鮮明に覚えている。さらにそれから数日後,兵庫県建築士会の青年委員会の仲間から危険度判定の応援を依頼された。災害が起こったときに,中途半端にたっている建物の中に荷物などをとりに行って最中 余震がきて建物が倒壊するという二次災害を防ぐためのものでその建物の安全度を調査するのである。
 兵庫県建築士会は北区にあり,インフラも含めて全く痛んでいない。しかし六甲山の南側は悲惨な状態で交通網が分断されていたので宝塚方面から北回りで士会のビルまで行くのである。ちょうどその時,私は近畿建築士会青年部会委員長をしていたので各方面の青年委員に声をかけ,空いた時間に応援要請をした。何の保険も無い状態のときである。しかしほとんどの人は快く引き受けてくれ,国交省(当時の建設省)のお声がかりで周辺建築士会本体が動くまでの1ヵ月半ほど,大阪士会青年委員のメンバーが独自で危険度判定に参加してくれた。危険度判定の次は被再度判定作業があり,それによって補助金や援助金の額が決まるのであるが,当時はその基準も整備されていなかったので 工事監理の経験と現地での目視と感に頼るしかなかった。
  その後,宮城地震や島根の地震中越地震福岡県西方沖地震など大きな地震を経験するのだが,国交省の肝いりである程度の建築士の体制や判定基準は整備されているが,不景気とあいまって人材確保に苦労する話を耳にする。さらに,そういったボランティアに対する生活保証はいまだにない。阪神大震災で無理を承知で現地でボランティア活動に参加してくれた友人の一人が震災景気に沸いたハウスメーカーを尻目にボランティアのほとんどは仕事が取れず,その中の一人は廃業したという話を聞いたのは1年後のことである。

2006年12月01日

とうとう師走

水無月の後,更新せずにとうとう師走になってしまった。その間,時間を見てBlogを調べていたのであるが,事務所のBlogは完成できずである。

  今年も様々なことがあったが,将来を危惧することとして,進学校の履修不足の問題がある。履修不足の原因は大学入試のためのカリキュラムを組むために入試に関係の無い科目を割愛したということである。この問題で校長先生の自殺までおこってしまった。
  結果として,半分の時間を卒業までに履修させること,卒業生については不問にすることで決着がついてしまった。しかしよく考えると,本来 教えるべきことを教えずに未完成のまま卒業させた責任が学生がかわいそうという情的判断で済まされたと言う事である。
  これはある意味学校側の怠慢であり,学生にしたら損害賠償の対象になるべきことではないか。つまり,学校名のブランドのついた卒業生という商品を欠陥のまま出荷したのである。さらに,進学校ということは 将来の日本のリーダーシップを担うべき学生が 欠陥のまま押し出され,その欠陥学生が 今後の日本を左右することになるのだ。
  よく,受験教育は本来の教育ではないという議論が持ち上がる。また,何かの社会問題が生じたときには「教育が大事だ」なんて言葉で括られる。それならば,こういった教育問題に対してはあいまいにせずに,淡々と履修義務を守るべきではないだろうか。
  社会的影響が大きかろうが小さかろうが,基本的なルールに基づいて淡々と処理すべきであろう。

2006年02月20日

建築・構造偽装問題

構造計算書偽造事件に関して 様々な情報が,流されている。新聞での論調は「この件は氷山の一角で他にもそれによく似たことがある」というふうに危機意識を煽る論調になりつつある。
  従来の建築は,クライアント⇒建築士⇒ゼネコンという流れが理想であるといわれてきたが,情報化時代の中で安易に情報を入手することができる社会的背景の中で「建築士」という専門家が軽んじられ,技術もない「建設コンサルタント」がクライアントと建築士の間に入って来たことが今回の事件の主たる要因である。
 建築士はその技術と経験をもってクライアントのもつ予算でその要求する機能を満たすために努力するのがその職責である。つまりその両者のバランスを保ち,結果責任を一身に背負う立場にある。ところが,今回は,技術ももたない素人の「建設コンサルタント」が,建築士やゼネコンに無茶な要求を押し付けて「見てくれの 建築」を築き上げてしまったのである。だから,建築士もゼネコンも責任を取ろうとしない。「建設コンサルタント」はそれまでは建築の専門家を気取っていたが,事件が表面化した途端に 素人面を始めたのである。責任の所在がはっきりしない理由である。
  今回の事件は, 建築を経済活動という側面で捉えてしまった結果であるともいえる。既に建売住宅ではこのような現象は周知のとおりである。たまたま共同住宅で発覚し,一度に多くの被害者が出た故に大きな社会問題となっただけのことである。
  姉歯事務所に肩入れする気なぞ毛頭ないが,私自身「違反建築をしなかったら他の事務所に廻すぞ」「どうぞ,私はそこまでしてあなたとはお付き合いしません」と数回断ってきた私には,コンサルやゼネコンの脅しに屈した建築事務所の構図がよく見えてくる。そのため決して「氷山の一角」ではないとは言い切ることはできない。
 今回の事件を教訓にその根本的な治癒として,考えていかねばならないことは,一つには建築士の独立性の確保とそれを背景にした建築士のモラルの再認識である。
 建築士は建築士法に基づいた資格であるが,建築士法は資格法でしかない。それを職能法に昇華させて,その代わり厳しい罰則規定を設けるべきである。

2006年01月01日

正月

昨年は前半は比較的暇であったが,後半は非常に忙しい時間を過ごしていた。忙しいは,「心を亡くす」とも言われるが,そうならないように努力はしたつもりである。そんな中で構造計算書偽造事件を知り非常にショッキングな思いであった。私をはじめ私の仲間の建築士達は,皆 経済活動としての建築生産に埋没せぬようがんばっている人たちばかりで 非常に良心的な設計監理業務をしている。 それゆえに組織力がなく大量に抱えることなどできない。建築はそもそも大量生産にはそぐわないものではあるから,基本的にはそのほうがよいのである。しかし,建築生産も経済活動に包含される一面もあり,そのため大量生産体制のハウスメーカーや大手ゼネコンに出番を奪われることも多く,ユーザーも「寄らば大樹の陰」でそちらに向かう傾向があった。
 年末にあばかれた構造計算書偽造問題はそれらの問題が露呈した象徴であるとも言える。願わくば,今年は建築士会をはじめJIAなどの建築諸団体は,こつこつと技術を蓄積しユーザーの立場に軸足を置いた建築事務所がのびのびと活動できる環境つくりを主眼にした方策を生み出してほしい。
 都市計画の観点から言うと,一昨年に施行された景観三法が,大阪府や大阪市などで打ち出されている観光都市宣言とどのようにマッチングしていくかということが一つの課題であると考えている。また,少子高齢社会の中で,在宅介護,小規模多機能施設,グループホームなど,若い世代のためのデザイン住宅,高齢化のためのリフォームなど,社会問題を建築的に解決する課題は一杯ある。
私の力でどこまで関われるかわからないが,事務所を設立して はや18年,粛々と歩むのみである