葉月
葉月とは陰暦の 8月で,新暦では9月から10月上旬のことである。「葉月」は落葉が始まるから葉月と言う説と稲の穂が張るので「稲張り月」から葉月,さらに北から雁が飛来する初めての月で初月から葉月と言う説があるらしい。
いずれにしても,夏の光を浴びて黄緑の若葉がしっかりと緑色になり,秋の結実の準備をしている時期という点で太陽暦でも葉月と言う名はふさわしいと思う。
八月には広島・長崎の原爆記念日,お盆,終戦の日など 日本人として過去を振り返るべき日が多い。国内に原爆を投下された日を記念日と呼ぶには 多少 ためらいがある。特に 8 月 9 日は長崎の原爆投下の日であるが,同時にソ連が日ソ不可侵条約を破って侵攻してきた日でもある。つまり,戦場でないところに無差別爆撃をかけられたり,国際法上の約束事を反故にされたり 当時の二大国家が 国際的なルールを破ったことによって,被害を受けた当事者となった日であることを記憶に残しておくべきであると言う点で記念日であるのだ。しかし,これが悪かというと,現在のところ 勝者の大義が優先されているのである。
“ヒト” は原始時代の体力のみで生き延びる時代から 相互交流で補い合って生きる時代へと移行してきた。そのため ルールを身に纏い,“ヒト間 ” の交流をスムースになるよう制御してきた。しかしながら, “法や慣習,道徳” といった規範が 絶対的で無いことはこれらの歴史が物語る。ハンチントンの文明の衝突にあるように 慣習・道徳が民族・宗教によって異なるために これらが衝突を防ぐ事はできない。また,“法” にしても勝者の都合が罷り通るきらいがある故に,絶対的とは言いがたい。もっとも,"法 " 自身,不完全な人間が作るものだから,絶対的な規範でありえないのだけれど・・・。それ故,不完全な複数の規範の集合体をその時々のバランスで作り変えて時代に応じた規範を作っていくしかないのであろう。
八月上旬 夏の盛りの昼間は 大阪ではクマゼミが鳴き,夕方にはアブラゼミが鳴く。お盆を過ぎると ツクツクボウシが鳴き始め,気付けば木立から秋の風が吹いているのを感じ出す。小学生の頃はツクツクボウシの鳴き声で,夏休みの終焉を感じ 子供なりの哀愁を感じたものである。
私にとって八月は感情的に目まぐるしい月でもあるのだ。