2008年11月19日

建築事務所への設計委託

3Dマイホームデザイナーという建築を建てたいユーザーが使っている比較的一般的なソフトを作っているメガソフトの調べで,

設計事務所に依頼しても割高になるとは限らない

という調査結果が出た。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20081114/528026/

http://www.megasoft.co.jp/publish/enquite200811/index02.html

http://www.megasoft.co.jp/publish/enquite200811/


私たちが日頃行っていることが,アンケートとして実証されたわけである。

2008年11月04日

既存の宗教建築

最近の日本は,宗教心がなくなったと嘆く宗教人が多い。しかし私はそうは思わない。むしろストレスの社会で ますます宗教に頼りたくなっている人は多いような気がする。かつてオーム事件があったとき,その信者の中に高学歴の者が多いのに目を見張ったのは,私だけではないであろう。しかし鎌倉時代以降の宗教は,今 積極的に手を差し伸べようとしている宗派は少ないのではないかと思う。私自身,浄土真宗で,先祖の月命日にはお寺に来ていただいて読経してもらっている。しかし,読経もそこそこに次の檀家へ向かおうとする姿を見るにつけ,悲しくなる。でも,何か苦しいときには般若心経を口にすることもある。
ある外国人と寺町を歩いたときに,日本のお寺は なぜ 頑丈な塀に囲まれているのかと問われたことがある。キリスト教は少なくとも 常に手を差し伸べているのだと言う。レ・ミゼラブルのジャン・バル・ジャンもそうした環境で生まれた文学なのだ。
確かに今の日本は「国民総拝金主義」に成り下がった感がある。宗教人といえども食べないわけには行かないし,それなりに家族も養わなければならない。だからある意味で仕方の無いことかもしれない。
しかし,日常においてもう少し,社会に門戸を開いてほしい気がする。特に大震災などが興ったときにこそ,宗教建築は倒れず威風堂々と残り,ボランティアも大いに受け入れ,被災者に施しを与えてほしいと思っている。だからこそ 私は 宗教建築耐震化を押し進めて行きたいのである。
若い人たちが 占いなどのマヤカシや,新興宗教に頼ろうとする姿を見るにつけ,宗教心は決して廃れていないと思う。むしろ 宗教人の一般へのアプローチこそ必要なことなのだ。頑張れ,既存宗教の関係者たち!

耐震診断 寺院

P3.gif


先日,ある寺院耐震診断に関わった。禅宗の寺である。歴史ある寺で,檀家はそこそこながらも やはり少なくなっていると言う。
禅宗の場合,その住職は本山から送られてくるようで,必ずしも血筋は繋がらないようだ。だからこそ新しい血,新しい考えで地元に密着した宗教の教えをとくことができるらしい。
前回は室戸台風のときに大改修をしたようであるが,このときの大改修は 結構 費用をかけたようで,先代の住職もある程度地震ありげだった。
結果は写真の通りで屋根裏や床下に問題が見える。多少のことなら小規模の改修で済むのだろうが,肝心なところがかなり痛んでいる。
さらに宮大工とはいえ,近年の地震力に対する考え方が考慮されていない。まあ,仕方の無いことであるが。。。
今回は本堂だけの調査であったが,本堂には100名から200名の信者が参詣に来るときもあるという。そんなときに地震がきたら,多分,小屋はその姿を残したままグシャリと潰れ,信者さんはその下敷きになるであろう。必要以上に脅かすのは本位ではないので,「大きな地震がこなければ問題ありません」とは言っておいたが,「できるだけ早急に改修するのが望ましい」とも付け加えておいた。

新築住宅

新築住宅を建てようと考えたとき,何をまず考えるのがいいのか。
いろいろ迷うことがある。住宅の新築はやはり大きな金額となるので,慎重にならざるを得ない。そして,設計費などを始末するために,建売住宅や売り建て住宅になってしまう。
しかし,新築住宅を失敗しないために,専門の建築士に任せるのが一番であるが,専門の建築士だと費用が余計にかさむような気がして,設計費の要らないハウスメーカーや建売住宅に落ち着いてしまう。
ここで,考えてほしい,ハウスメーカーや建売住宅を売っているのは建築士なのか?決してそうではないだろう。であれば,建築士ほど知っているわけが無いのに,なぜ信じてしまうのであろう。人当たりのよさで判断してしまう。
人当たりがいいから,いい人ならば,世の詐欺師はすべてよい人になる。それに,建築士に頼まないのなら設計費が安くなるの安易に考えるのは間違いである。
酔っ払って繁華街を歩いているとき,人当たりの良い客引きに出会って,信じてその店に行った場合,大方 ボラレてしまうのがオチである。建築も同じである。ハウスメーカーは莫大な費用を使ってTVコマーシャルを出している。その費用はどこから出ているのか。皆さんから集めた販売価格から出ているのである。
さらに,材料を買うとき本職のすし職人と素人サンならどちらがやすく買えるのか。本職に決まっている。相場を知っているからだ。
建築士は委託業務で あくまでもクライアントから委託されて,その職を全うする。つまりお客さんと同じ立場にいるのだ。それに対して,工務店やハウスメーカーはクライアントとは立場が全く反対のところにいるのだ。それは,素人のクライアントに対してある意味”ぶっ掛ける”と言うこともあるわけだ。建築士を味方につけておいて設計監理料を支払っても,ブッカケ代を除いたら,コストは同じくらいになるし,TVコマーシャル代を除いたら安くなるのは当たり前である。
住宅の新築では建築士を大いに活用するのがいい。
住宅の新築を考えるときの参考として,下のHPを見てほしい。

http://t-urban.urbany.net/h_sintiku/sintiku.html

ハウスメーカーなどは よほど まとまったりフォームしか取扱うのは嫌う。なぜなら,労の割りに成績に繋がらないからだ。建築士はどんなリフォームでも丁寧に対応してくれるのが,ほとんどだ。リフォームでも多いに建築士に相談してほしい。

2008年11月03日

オートリスプ オートキャド

オートキャドを使い出した理由の一つが自動作図をするためだ。本当は頭に描いたものをちょっと操作したらさっと描いてくれるコマンドがあればいいのだが,まあ,そこまでは無理と言うものだ。だが,それに近いものがある。オートリスプを使ってカスタマイズすることがそのひとつのやり方である。オートリスプはなかなか難しく,取っ掛かりにくい。

そこで私の知り合いが集まって,Erste.net というグループ名でオートリスプの研究を行っている。
成果のひとつが,

http://lisp.mydns.jp

にある。

オートリスプを専門に個人であれば作りあって教えあうだけで済むのだが,所員にまで説明するのは厄介なことである。このHPは いわば マニュアルのHPなのだ。

2008年11月01日

KPOキリンプラザ大阪-3

kirinplaza01.jpg

写真は
http://www.arcstyle.com/osaka/kirinplaza.html
から借りています。

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この建物が竣工した1988年頃は,日本の経済面において,バブル経済が崩壊し始めた時期でもある。土地本位のバブル期においては急激な土地高騰に対して建築コストが相対的に割安となり,建築物のデザインに対するコストはあまり問題にされなかった。投資は個の建物から建物群へ さらに都市の生産に集中し,哲学や思想の具現化の手段として建築のデザインがあり,総合的に文化を形成していった時代であった。よってこの時代にはいろんなデザインの提案があり,過装飾の建築物も多く建てられ,建築家のデザインコントロールがひとつの課題となっていた。バブル崩壊以降,様々な屈曲の後 いまや世界的に金融主体のバブル経済の様相を呈している。投資家の興味は金利の変動,金融商品に移行しているのだ。よって,建築の課題は,どれくらいの収益をもたらすのかが主流で,デザインより ローリスク・ハイリターン,建築生産過程でのコストダウン,高度利用性優先へと流れている。そういった風潮が次代の都市文化に対してどのように作用するかは歴史の流れに身をゆだねるしかない。が,「KPOキリンプラザ大阪」は,規模はさほど大きくないが,内外の建築デザインのみならず 映像や商業デザインなど一般文化に対してもそれなりの刺激を与えたことは,確かなことであると思う。

残念なことに「KPOキリンプラザ大阪」もその時代の流れに逆らうことはできず,2007年11月に閉館となった。商業施設なので時代の価値観に応じた変遷はやむを得ないが,この建物の持つ文化的意味という観点で考えると20年という寿命は短すぎる気がするし残念である。次に建設される建物が,この建物以上のインパクトを持ったものであることを願うのみである。
今は工事用の仮設塀が四周を取り囲み その向こうに外観だけは見ることができるが,内部に入ることもできず夜の光の輝きも楽しむことができない。間の抜けた昼の顔が夜空に突っ立っているだけである。

KPOキリンプラザ大阪-2

kirin.jpg

明け方,夜が白み始めると光の塔は静かに眠りに入り,今度は黒御影の外壁が目覚めるのである。各面の周囲だけを本磨きとし,その内側をジェットバーナー仕上げとした壁面は,その黒い色のもつ独特の存在感を内部に秘めつつ 緩やかな口調で語り始めるような気がする。この夜の顔と昼の表情がこの建物の特徴の一つで,人工照明による演出性が見直される契機になった建築物でもある。しかもその気高さは,「雑多な大阪」という悪評を押さえ込んだ都市のシンボルとして,充分 その力を発揮しているのではないだろうか。
私が初めてこの建物を見たときに特に気になったのは,外壁の一部に取付けられたステンレスやアルミの装飾であった。ボーダー状のもの,半球形,板状など言葉で表せない形が 鏡面やヘアラインを織り交ぜて 何らかの規則性で四面の外壁に縦横に縫いこまれている。しかも「光の塔」の形状のモチーフを外壁のモチーフに継承させるように配置されているのだ。これらのボーダーによってその端正な統一感がより明確になり,周囲の下世話な雰囲気からこの建物を際立たせているのである。
この金属の装飾の中でも半球形のものは鏡面仕上げとなっている。球面の特性で 昼間は魚眼レンズのように周囲の風景を映し出し,夜は周囲から垂れ流される光を反射して あたかも自ら輝いているように見せる効果がある。私にはこれらの形状はマヤ文字のように見えたのであるが,メタリックな反射の効果はマヤ文字以上に建築家のメッセージが発信されているような気がするのである。
ポスト・モダニズムにおいては,ロバート・ベンチューリミース・ファン・デル・ローエの言葉である"Less is more" (少ないほど、豊かである)を "Less is bore"(少ないほど、退屈である)と皮肉り,ラスベガスの雑多な商業建築物をもポスト・モダニズムの観点から評価した。その影響からか,古典的な装飾を無理やりとってつけたような建物も排出した。しかし,その後 興ったモダニズムへの回帰の中で,ポスト・モダニズムの影響は 一部 受け継がれ,それがデ・コンストラクティズムの流れになってきているように私には思われる。極端な例としてビルバオグッゲンハイム美術館が挙げられるが,そこまでいかなくても古典的なデザインを現代風に解釈し,よりシンプルなアイテムを直感的に組み合わせる流れが今の建築物にはよく見られる。この「単純な複雑性」というその後のデザイン潮流の予感を 私が初めて「KPOキリンプラザ大阪」を見たときに感じ,何ともいえぬ感動を抱いたことは 今なお 鮮明に記憶している。

KPOキリンプラザ大阪-1

昨夜,久しぶりに難波にいったら,キリンプラザ大阪が完全に解体されていた。
本当に良い大阪の建築物だったのに残念である。

かつて この建物について記事上げしたことと もう一度 記録としてここに残しておこう。

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この建物が建設されたのは1988年のことであった。派手な看板の林立と行き交う群集に取り囲まれた500㎡余りの敷地というのが この建築物に与えられた「場の特殊性」である。用途は商業施設で,地下1階から3階までが飲食店,4階から6階までが多目的ホール,7階が吹抜け(一部管理部門)といった構成となっている。上層階の多目的ホールは一般に貸し出され,様々な文化活動に利用された。私たち大阪府建築士会の展示場としても大いに利用させていただいたものである。
建物の外壁は黒御影石の本磨きとジェットバーナー仕上げ,一部にステンレスやアルミ・真鍮の装飾が施されている。そして 外観を特徴付けているのは6階部分から上部に伸びる4本の光の塔である。光の塔は建築物の上にぽんと載せられているのではなく,6階からの外壁を欠き込んで上に伸びた形で,建物本体に絡ませた一体的なデザインとなっている。
夜になると下部の黒御影部分は闇にまぎれて消滅し,4本の光の塔だけが闇夜に浮かび上がるのだ。まさに真っ暗な部屋にともされた行灯のようにすーっと浮かび上がる,しかも月光のような涼しい光で・・・・。見る人の幻想を大いに駆り立てるような風景である。光の塔は,帆船の帆のようにも見える。浪速津から暗い闇の海を漂う(ただ酔う)帆船のように・・・。
光の塔のシンプルさが,周辺のキッチュな看板や装飾を圧倒し,これら雑多な物を夜の闇の向こうに追いやってしまうのだ。そして光の塔のイメージだけが見る人の脳裏に焼き付けられるのである。


2008年10月31日

オートキャド オートリスプ

オートリスプ・大阪・建築士・オートキャド


数年前から,オートキャドを使っている。オートキャドにはオートリスプという便利なコマンドというかマクロというか そんな 便利な言語がある。

今回作ったのは平面詳細図作成用の 開口部コマンドだ。まず左のように単なる壁があって,2クリックで内側外側と2点クリックし開口の開始点と開口部の広さを支持してやると,リスプが働いて,右のように描いてくれる。しかしながら,コンクリート増し打ちの点線が どうしても 消すことができない。それにレイヤ設定が自分流なのだ。
だから,人にあげることのできない自閉症気味のマクロである。まっ いいか!

2008年07月08日

大正区

大阪・医療・診療所・新築